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暮らす

キャンプの夜、さっきまでみんなで火を囲んで歌って笑って、満点の星を眺めて、「じゃあ、お休みなさい。」とそれぞれの今日のお家(テント)に戻った。横になって、今日の1日のいろいろな出来事を思い返していると、テントの布1枚(2枚か)隔てただけのお隣さんから子ども達が眠りにつく前のおしゃべりが聞こえてくる。人の気配を感じながら眠りにつくことの安心感と心地よさ。

何度か目が覚めて、虫の声(まだまだ暑いけど秋はちゃんと近づいているんだ)、波の音、朝方は鳥の鳴き声(いろんな種類の鳥がいるのだろう)を聞いた。

 

早朝から元気な誰かさんの声が聞こえてくる。カブトムシを探しているようだ。働き者の大人達の足音もし始めた。そろそろ起きよう。

 

昨日いっぱい遊んでいっぱい眠った子ども達の寝起きのお顔。あ、大人はちょっと疲れてる?寝起きのお顔。普段見ることのない顔を見れてすごく近くなった気分。私も寝ぼけた顔をしているんだろうな。

 

朝から虫探ししたり、棒を拾ったりしては振り回していたH君が、「ねえ、明日もキャンプ?」と尋ねた。あー、彼はこの時間がずっと続くといいのにと思ってくれているのか。嬉しくてたまらなくて、「いいねぇ!明日もキャンプしてここからみんなお仕事行ったり、保育園行ったりするといいねえ。」と私は言った。我ながらとってもいい考えだ!

 

キャンプの間、子ども達は、集団を大きくしたり小さくしたり、一人でいたり自由に興味の向くままに自然の中で遊んでいた。食べることの準備が始まると松ぼっくりを集めたり、火を扱ったり、野菜を切ったり、焼いたり、それもまた自分のやりたいことに向かっていた。側には、自分の親とは限らずに誰か大人が見守ったり、一緒にやったりする。

やりたい気持ちがぶつかったり、転んで痛い思いをしたりすると年長の子どもがそれとなくとりもったり、なぐさめたり。やっぱり治まらないときには、本当のお父さん、お母さんのところに連れて行ったり。

子どものこと、暮らしのことが自然の中で行われる。大きな家族のような集まりのなかで、みんなで営まれていく暮らし。きっと少し昔には行われていたこと。

 

あー、なんと幸せな暮らし

 

残念ながらキャンプに終わりが来て、本当の(?)家に帰った夜。後始末ですっかり疲れていた私が、ふとTVに目をやると、イモトさんがどこやらの国で藁のような家で暮らしている人たちのところを訪問している1場面に目が留まった。血縁なのかどうなのか分らなかったが、小さな家でぎゅうぎゅう詰めに寝転がっている人たち。その後、家から一人ずつ出てくる。若い人、お年寄り、子ども、赤ちゃんを抱っこした人...よくこの家に入っていたもんだっていう位出てくる。そして、みんな笑っていた‼みんな幸せそうに笑って出てくる。

 

高気密に高断熱、防犯はしっかり。今の家では人と人はとっても遠い。子育てはしっかりと囲われた家の中で行われている。子と親(時にはおじいちゃん、おばあちゃん)の関係だけではお互い息が詰まる。苦しくなる。

 

ぎゅうぎゅう詰めの暮らしには、きっと人と人の間でいろんな問題が起きるだろうし、プライバシーちょうだいって思うんだろう。でも、問題をみんなで解決したり誰かが取り持ったりしながら暮らすんだろう。

 

私がやりたいことは、みんなで暮らすことなんだ。みんなでゆったりと息を吸って生きていきたい。

それは、キャンプ生活を続けることなのかもしれないな。